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鏡の歴史 ● 鏡の起源 鏡の起源は人類と同じほど古く、最古のそれは水鏡(水面)に遡ります。 動物の知能を測るために鏡が用いられるように(鏡に映った自分を自分と認識できる能力を「鏡映認知」と呼びます)、 鏡に映る姿が自己であることを知るのは、自己認識の第一歩であるとされています。 鏡によって、初めて人は自分自身を客観的に見る手段を得ました。 チンパンジーなどにおいては、鏡に映る姿を自分自身として認識し、毛繕いのときに役立てるといいます。 鏡に映像が「映る」(実際には反射しているのだが)という現象は、古来極めて神秘的なものとしてとらえられました。そのため、単なる化粧用具としてよりも先に祭祀の道具としての性格を帯びていました。 鏡の面が、単に光線を反射する平面ではなく、世界の「こちら側」と「あちら側」を分けるレンズのようなものと捉えられ、鏡の向こうにもう一つの世界がある、という観念は通文化的に存在し、世界各地で見られます。 水鏡と金属鏡しかなかった時代・古代の哲学などにおいては、鏡像はおぼろげなイメージに過ぎないとされました。一方近代になりガラス鏡が発達すると、シュピーゲル(ドイツ語)やミラー(英語)という名を冠する新聞が登場するようになります。すこれは「鏡のようにはっきりと世相を映し出す」べく付けられた名称です。 鏡は鑑とも書き、このときは人間としての模範・規範を意味します。 手本とじっくり照らし合わせることを鑑みる(かんがみる)というのも、ここから来ています。 また日本語でも「鏡」と望遠鏡、拡大鏡などは同じ鏡という字を用いており、英語のグラスもまたガラス、レンズだけでなく鏡の意味も持ちます。 ● 鏡の技術的変遷 古くは金属板を磨いた金属鏡で、多くは青銅などを用いた銅鏡で、後に錫メッキを施されるようになりました(表面鏡)。 現代の一般的な鏡はガラスの片面にアルミニウムや銀などの金属のめっきを施し、さらに酸化防止のため銅めっきや有機塗料などを重ねたものです(裏面鏡)。 最初の鏡は、水たまりに自らの姿形などを映す水鏡であったと考えられます。 その後、石や金属を磨いて鏡として使用していたことが遺跡発掘などから分かっています。 現存する金属鏡で最も古いものは、エジプトの第6王朝(紀元前2800年)のものです。 以来、銅・錫およびそれらの合金を磨いたもの、および水銀が鏡として用いられました。 1317年にベニスのガラス工が、水銀アマルガムをガラスの裏面に付着させて鏡を作る方法を発明してから、ガラスを用いた反射の優れた鏡が生産されるようになりました。これはガラスの上にしわのない錫箔を置き、その上より水銀を注ぎ放置して序々にアマルガムとして密着させ、約1ヶ月後に余分の水銀を流し落として鏡として仕上げるという手間のかかるものでした。 1835年にドイツのフォン・リービッヒが現在の製鏡技術のもととなる、硝酸銀溶液を用いてガラス面に銀を沈着させる方法(銀鏡反応)を開発し、以来製鏡技術は品質、生産方法共に改良され続けてきました。 今日では、鏡は高度に機械化された方法で大量生産され、光沢面保護のための金属めっきや塗料の工夫により飛躍的に耐久性が向上しましたが、ガラスの裏面を銀めっきした鏡である点は19世紀以来変わりません。これは銀という金属は可視光線の反射率(電気伝導率および熱伝導率に由来する)が金属中で最大のためです。 現在ではガラスを使う鏡の他に、ポリエステルなどのフィルムの表面に金属を蒸着し、可搬性や安全性を高めたものもあります。 ● 日本の鏡 古墳時代、邪馬台国の女王卑弥呼が魏の王より銅鏡(この時代を研究する考古学者にとっては、「鏡」という語はすなわち神獣鏡、三角縁神獣鏡などの銅鏡を意味する)を贈られた故事はあまりに有名です。これは彼女がシャーマン的な支配者であったことと結びつける研究も多い。 鏡は神道や天皇制では、三種の神器のひとつが八咫鏡であり、神社では神体として鏡を奉っているものが多数存在します。 またキリスト教を禁止した江戸時代に隠れ切支丹鏡という魔鏡が作られました。 また、霊力を特別に持った鏡は、事物の真の姿を映し出すともされました。 地獄の支配者閻魔大王の隣に(もしくは伝承によっては彼の手に)は浄玻璃の鏡という鏡があり、彼の前に引き出された人間の罪業を暴き出すといわれます。 鏡が割れると不吉としたり、鏡台にカバーをかけた習慣は、鏡の霊力に対する観念が広く生活習慣の中にも根を下ろしていたことを示します。 しかし近代化の中で、そういった観念は次第に薄らいでいるのが現状です。 日本においては、鏡の持つ神秘性を、餅や酒などの供物にも込めてきた経緯があり、現代でも鏡餅や鏡開きなどの習慣に、その姿を見ることが出来ます。 なお、鏡の語源はカゲミ(影見)、あるいはカカメ(カカとは蛇の古語。つまり蛇の目)であると言われています。 |