鏡のホームページ/鏡なぜなぜ博物館


鏡のホームページ/鏡なぜなぜ博物館

私たちの生活に無くてはならない鏡。その鏡についてのさまざまな疑問にお答えします。
Wall Décor Shop アイビーオンラインが提供する鏡の情報ページです。


鏡の情報(日本のいろんな鏡)


「鏡」の出現:

人類が始めて使った鏡は「水の鏡」だったと考えられています。古代の人々は池や水たまりの水面に自分の姿形などを映して眺めていました。その後、石や金属を磨いて鏡として使用していたことが遺跡の発掘などから分かっています。現存する金属の鏡で最も古いものは、エジプトの第6王朝(紀元前2800年)の「銅の鏡」があります。この鏡の形は現在の手鏡に似ています。


銅の「鏡」が日本に伝わったのは:

銅の鋳造品である「銅鏡」は弥生時代中期に中国大陸から朝鮮半島を経て日本に伝来しました。国産の鏡が作られたのは弥生時代後期からで、奈良時代になると鏡を作る技術も進歩して、中国(唐)製のものに負けないくらいになりました。当初この鏡は、仏教寺院で装飾神具として用いられていましたが、平安時代に入り銅鏡は化粧道具として貴族社会に溶け込み、その後庶民生活に広く浸透し、江戸時代にはその最盛期を迎え、数多くの銅鏡が作られました。しかし、銅鏡は手入れが面倒なことから、ガラス鏡の普及に伴い需要が低下し、現在では伝来当時の弥生時代同様、神具としてのみ用いられています。


「銅の鏡」参考写真



銅「鏡」:
銅鏡(どうきょう)は、銅合金製の鏡のこと。 銅鏡は各時代に製作されたが、歴史・考古学用語としては中国、朝鮮、日本の遺跡から発掘される青銅製の鏡を指すことが多い。
古代中国に起源をもち、日本や朝鮮など東アジアで広く使用された。 古代エジプトにおいても、青銅製の鏡を用いた事例がある。宗教・祭祀用具としての機能をもち、近代に西洋よりガラス鏡が伝来普及するまで一般に広く使われていた。日本の近世では、大名などの婚礼の嫁入り道具として銅鏡などが残されている。


「三角縁獣文帯四神四獣鏡レプリカ
((椿井大塚山古墳出土))」参考写真



「鏡」と神話:

「三種の神器」のなかでも最も重要で神聖な宝物が日本書紀の中で真経津鏡(まふつのかがみ)と書かれている鏡です。三種の神器は皇室を守護する御神体という意味をもつものですが、とりわけ真経津鏡は最高神であり皇祖神である『天照大神の分身』とされているものです。「鏡」が神話に初めて登場するのは『天の岩戸事件』の時です。岩戸に閉じこもった天照大神がそっと外の宴を覗いた時に大神の顔を写した鏡がこの真経津鏡です。


土佐日記と「鏡」:

紀貫之の土佐日記 に「ちはやぶる神の心を荒るる海に鏡を入れてかつ見つるかな」という歌が詠まれています。
荒れ狂う海をなだめるために幣を奉納したが、そんなものでは神様はご満足いかず、貴重な鏡を奉じたらたちまち海は鏡面のように静まったという話。作者の紀貫之のように旅に鏡を携帯するのが一般的であったものか定かではありませんが、話にあるように鏡は神様が欲しがるほど貴重な物として扱われています。また、鏡は古代の人たちにとって神秘的な存在であり、左右対称とはいえ実像を映し出す鏡はどこか別の世との接点を持つ異様な物として見なされていたと考えられます。


四「鏡」:

四鏡とは日本の古典文学の4つ。鏡物。 大鏡、今鏡、水鏡 、増鏡 を指す。


大「鏡」:

『大鏡』(おおかがみ)は紀伝体の歴史物語。平安時代後期(白河院政期)に成立。作者は不詳、摂関家やその縁戚の村上源氏に近い男性官人説が有力。いわゆる「四鏡」の最初の作品であり、内容的には2番目に古い時代を扱っています。「大鏡」とは、「歴史を明らかに映し出す優れた鏡」の意味。


今「鏡」:

『今鏡』(いまかがみ)は、歴史物語。成立は平安時代末期であり、今鏡「序文」によれば、高倉天皇の嘉応2年(1170年)とされるが、それ以降とする説もあります。作者は藤原為経とするのがほぼ定説になっています。ほかに、中山忠親、源通親説もあります。いわゆる「四鏡」の成立順では二番目に位置する作品です。内容的には『大鏡』の延長線上に位置し、三番目に古い時代を扱っています。なお、描く年代が四番目の『増鏡』との間には13年間の空白があり、藤原隆信(寂超在俗の子)の著である歴史物語「弥世継」(いやよつぎ、現存しない)がその時代を扱っていたためとされています。

『水鏡』
水鏡(みずかがみ)は、歴史物語。成立は鎌倉時代初期(1195年頃)と推定されます。作者は中山忠親説が有力ですが、源雅頼説などもあり未詳。いわゆる「四鏡」の成立順では三番目に位置する作品です。内容的には最も古い時代を扱っています。

『増鏡』
増鏡(ますかがみ)は、歴史物語。成立は南北朝時代と推定されます。作者は未詳ですが、二条良基説や洞院公賢説、四条家関係者説などがあります。いわゆる「四鏡」の成立順では最後に位置する作品です。内容的には最も新しい時代を扱っています。



魔「鏡」:


銅鏡には、おもしろい現象を示すものがあります。それは、鏡面を直接みても普通の鏡と全く変わりないが、太陽光線や灯光を当て、その反射光を白壁などに投影すると、銅鏡の背面に描かれた仏像や文字などの模様が映し出される現象で、このような鏡を「魔鏡」と呼んでいます。この現象が何故起こるかですが、「銅鏡」は背面に模様が施されており、表側の鏡面には工作上の原因から背面の模様そっくりの非常に小さなくぼみが存在します。さらに鏡面は、全体として凸面鏡になっています。そのため、鏡全体としては凸面鏡になっており光が散乱しますが、くぼんでいる部分(凹面状の部分)では光が収束しますので模様が明るく映し出されるのです。


卑弥呼の「鏡」:

魏志倭人伝には、邪馬台国の卑弥呼女王に、大陸の魏の国から鏡を100枚プレゼントされたと記録されています。 日本では邪馬台国時代に文字は無かったとされるので、漢字が刻まれていれば大陸産(あるいは大陸の技術者が作った)と考えられてきました。ちょうどその頃の年号が刻まれた精巧な鏡が日本で数多く出土しています。それが卑弥呼の鏡ではないかと論争が続いている、三角縁神獣鏡という鏡です。しかし、最大の疑問は同じ鏡が朝鮮半島では1枚も出土していないということです。賛成派は、これはプレゼント専用で全部日本に送ったからなのだ、と言っています。反対派はこの鏡が500枚以上出土していることから数が多すぎる、即ち卑弥呼の鏡ではないと言っています。さて本当の卑弥呼の鏡は?


三角縁三神五獣鏡
(京都府大塚山古墳)



ガラスの「鏡」を日本に伝えたのは:

ガラスの鏡は14世紀始めにイタリアで初めて作られました。日本に初めてガラスの鏡を伝えたのは1549年、ポルトガルの宣教師フランシスコ・ザビエルだといわれています。それから500年、今では鏡はすっかり生活の一部となりました。


「ザビエル」参考写真



「鏡」のメーカー:

我が国で 初めてガラス板が製造されたのは、18世紀後半、泉州(大阪府)佐野においてと言われています。以来、鏡は家内工業的に手工業で製造されてきました。それが大きく変わったのは、昭和41年末にセントラル硝子鰍ェ同業者との共同出資により「三重硝子工業」を設立、次いで昭和43年に旭硝子鰍ェ同じく「サンミラー」を、日本板硝子鰍ェ「ハイミラー」を相継いで設立してからでした。これら3社は、西欧からの技術導入による量産製法を採用し、品質の向上に努め、今では世界一級品の鏡を製造しています。


「鏡」の製造方法:


鏡は以下の工程で製造されます。

素板ガラス → 前処理洗浄・研磨 (メッキをする面をきれいにするための洗浄と研磨を行います)→ 塩化スズ処理(めっきをスムーズに行うための塩化スズによる増感処理を行います) → 銀メッキ(像を反射させるためにスプレーで銀メッキを行います)→ 銅メッキ(銀メッキを保護するためにスプレーで銅メッキを行います)→  塗装(銅メッキ面を保護するために防蝕塗料を塗布します)→ 検査(ガラス板の不良、メッキ不良、異物混入などをチェックします)→ 鏡の面取り加工(安全のために鏡の端部を研磨し、クリスタル感を出すために面取り加工を行います)



イタリア製と書かれた中国製?の「鏡」:


町のインテリアショップでは鏡にわざわざイタリア製と明記して販売しているケースが多く見られます。また、「Made in Italyステッカー」を貼っている商品も数多く見かけます。インテリア商品のなかでも鏡に特に多く見られる不思議な現象です。大事なのは国籍ではなく、オリジナリティーを含む商品の付加価値ではないかと思いますが、ブランドを好む日本人の特性や未だに残る欧米コンプレックスがそうさせているのかもしれません。表示に惑わされることなく、商品の鏡を直視し、その本当の価値をご自分の目で評価していただければと思います。街でイタリア製の鏡をお買い求めになる場合は、「イタリアのどのメーカー?」と聞いて見てください。ショップ店員が困惑することなくメーカー名をすらすらと答えられたら、それはイタリア製と考えて間違いないと思います。当店ではイタリア製の鏡も販売していますが、選んで注文しているわけですからもちろんメーカー名と特徴は把握しています。


アイビーオンラインの「鏡」:

鏡ではもう妥協しないというお客様が当店には沢山来られます。きれいに映らない鏡、ゆがむ鏡、曇る鏡、拭いてもきれいにならない鏡など。フレームの付加価値以前の問題ですが、そういう鏡が多く販売されているのも事実です。長い人生、毎日お世話になるアイテムなのできちんとした鏡を販売して欲しいと思います。アイビーオンラインは国籍を問わず良いものは良いと考えていますので、決して日本の技術にこだわっているわけではありませんが、色々比較した結果、当店で採用しているオリジナルデザインの鏡は全て旭硝子製もしくは日本板硝子製です。鏡は品質が悪いとすぐに分かります。いくらフレームがよくても鏡自体に問題があれば商品としては失格です。当ギャラリーが採用している鏡は厚さ5ミリです。街のショップやネットショップでよく見かける厚さ3mmの鏡は、コストは安くても「ゆがみ」「ひずみ」のリスクが高くお奨めできません。又、アイビーオンラインは一部の例外(形状から物理的に加工が不可能なもの、デザイン上の理由によるもの)を除き、大半のオリジナルデザインの鏡には約2.5cmの超幅広の面取り(クリスタルカット)を施しています。これには相当のコストがかかりますが、クリスタルのような鏡の美しさを引き出すためには、またインテリアとしての価値を高めるためにも鏡の面取りは欠かせません。


「鏡」の映画:

「鏡」1975年製作のロシア映画

「私の夢に現われる母。それは、40数年前に私が生まれた祖父の家。うっそうと茂る立木に囲まれた家の中で、母は、たらいに水を入れて髪を洗っている。鏡に映った、水にしたたる母の長い髪が揺れている。あれは1935年田舎の干し草置場で火事があった日のこと。その年から父は家からいなくなった…」

アンドレイ・タルコフスキー監督の自伝的映像詩です。ロシアの自然現象を象徴的に捉え、繊細で美しい映像の中で人間の深層心理を浮き彫りにしてゆく独得の映像表現には、タルコフスキー映画のファンのみならず酔いしらされてしまいます。撮影は詩的で流麗なカメラワークで知られるゲオルギー・レルベルグ。音楽は「惑星ソラリス」のエドゥアルド.アルテミエフ。


「鏡の女たち」2002年製作の日本映画

「東京。24年前、生まれたばかりの赤ん坊を残して失踪した娘を探しつづける年老いた女性、ある日、娘によく似た女性が現れるが記憶を喪失していた。断ち切られた糸を結びあわせようとする三人の女たち。やがて甦ってくる遠い思い出。三世代の女性たちが探し求める記憶の旅。そのはじまりには第二次世界大戦中の広島があった…」

「被爆者でない自分に原爆を描く資格はない」とする吉田喜重監督。「戦争体験者として戦争の悲惨さを描く義務がある」とするもう一人の吉田喜重監督。この両者の長い年月の葛藤の末の結論がこの映画となっています。第55回カンヌ国際映画祭特別招待作品。

 

「鏡」の国のアリス

『鏡の国のアリス』は、『不思議の国のアリス』の続編として、1871年にルイス・キャロル(チャールズ・ラトウィジ・ドジスン)によって書かれた児童文学。原題を直訳すると、『姿見鏡を抜けて、そこでアリスが見たもの』となる。この作品の中には、対称や時間の逆転などを含めた、多くの鏡のテーマが含まれています。
前作、『不思議の国のアリス』が夏の日の物語であるのに対して、『鏡の国のアリス』ははイギリスの冬の風物詩である「ガイ・フォークスの日」(11月5日)の前日から始まる。
『鏡の国のアリス』は、鏡の裏側の世界、チェスの動きをする世界へ旅するアリス。ハンプティ・ダンプティ、ライオンと一角獣など、異次元世界の生き物と接しながらポーンからクイーンへと成長するアリスを描く「不思議の国」の続編。


鏡の国のアリス」参考写真


「鏡」の池:

「鏡池」長野県戸隠 標高1,200m

まるで鏡のように戸隠連峰を水面に映すことから名付けられた鏡池。雄大な戸隠連峰が鏡のような湖面に映し出されたその景色は、季節を問わずたいへん美しいものです。戸隠は戸隠連峰を信仰地とした山岳信仰の中心。山麓の鬱蒼とした樹木の中に、宝光社・中社・奥社から成る戸隠神社がたたずんでいます。鏡池は、宝光社の手前を左に折れて道幅の狭い舗装道路を3qほど行ったところにあります。周りは植物の宝庫で、ミズバショウの咲く春はとりわけそこを訪れる人々の目を楽しませてくれます。


「鏡池」参考写真


「鏡池」長野県本白根 標高2,100m

本白根山遊歩道最高地点(2150m)から鏡池・から釜分岐を経て2145m地点の展望所へ。ここでは南に浅間山、南西に四阿山、北に白根火山、南東に草津温泉街を望めることができます。視界が良ければ富士山を眺めることも。展望所を後にして熊笹が生い茂る稜線をしばらく歩くと、右手に水底の亀甲模様(多角形土)が珍しい鏡池があります。本白根の爆裂火口に雪解け水や雨水がたまってできた池です。ここで一息入れて登山口を目指します。
 


「鏡池近くの展望所から
見た浅間山」参考写真



「鏡」の山:
「鏡」山:滋賀県蒲生郡竜王町鏡

標高385mの山。ふるさと歴史の森ハイキングコ−スが整備され、随所に古墳群など史跡・文化財が残っています。新幹線、東海道線からも見えます。特徴のない山のため、見逃されやすいのですが、昔から緑豊かな美しい鏡山は、鏡の街道を通る人々に心の安らぎを与えてきました。また遠く万葉の昔より、数多くの歌人に愛され歌枕として詠まれてきました。古今集にも歌われた「鏡山」は、きっとあなたを万葉の時代に誘(いざな)ってくれるはずです。
 


「鏡山」参考写真


「鏡」山:佐賀県唐津市

日本三大松原「虹ノ松原」を見下ろす鏡山松浦潟に沿って、日本三大松原の虹ノ松原が広がります。この壮観を一望できるのが、唐津市東部にある鏡山(標高284m)です。山頂への登り口には大きな鳥居があり、16ヶ所のカーブを越え、山頂駐車場を目指します。駐車場から5分ほど歩いていくと、展望台があります。ここからは虹ノ松原を中心に、180度のパノラマ夜景を見下ろせ、特に松浦側に掛かるオレンジ色の橋が印象的です。また、ガラス張りの室内展望室も備えられているため、風邪か強い寒い時期でも、ゆっくりと夜景鑑賞ができます。
 


「鏡山から見下ろす
虹野松原」参考写真


「鏡」山:福島県西会津町

鏡山(標高 1339m)は飯豊の主稜線にある三国岳より西に延びた尾根上にあり、新潟県と福島県の県境に位置しています。飯豊本山と大日岳の眺めが素晴らしく飯豊の好展望台となっています。会津百名山の一つです。
 


「鏡山山頂」参考写真


「鏡」山:宮崎県北川町大字川内名「鏡」山

「鏡」山の頂上からは眼下に日豊海岸の景観が広がり。西には祖母傾国定公園の山々が眺望できる。毎年5月にはパラグライダーのトップフライヤーが集う。その裾野に展開する「鏡」山牧場公園は、アスレチック施設、うさぎ、ポニーなどのいる小動物コーナー、パターゴルフ場や人工芝スキー場があり、家族連れや若い人たちの遊び場になっています。


「鏡山」参考写真


「鏡」山:和歌山市新和歌浦

「若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴鳴き渡る」誰でも一度は聞いたことのある万葉集の中のこの一首は、724年聖武天皇が初めて玉津島(和歌浦)に行幸された時に随行した、山部赤人が詠んだ玉津島賛歌の一首です。鏡山は和歌の浦地区にある塩竃神社の真上に位置し、片男波の様子を展望できます。玉津島神社の境内に鏡山の登り口があり、約5分で登ることが出来ます。平安人も、この鏡山から和歌の浦の海岸を望んだのでしょうが、残念ながらその風景も、現在は埋め立てられてしまって見ることが出来なくなりました。


「鏡山」参考写真


「鏡」山:福岡県田川郡香春町

香春町の山間の平野に、ぽつんとお椀を伏したように山が鏡山。この辺り、神功皇后伝説もあり、山頂には鏡山神社もあります。
香春は古代、大宰府と周防灘岸とを結ぶ官道「田河道」の一駅でした。のどかな田園風景の中に、悠久の歴史が秘められています。


「鏡山」参考写真



万葉集の「鏡」:

万葉集にも福岡県田川郡香春町の鏡山が出てきます。
太宰帥の河内王を鏡の山に葬ったときの歌ですが、鏡山の近くには、ほふき原の地名もあり、古代の葬地ではと考えられています。
○大(おほきみ)尾の睦魂あへや、豊国の鏡の山を、宮と定むる 手持女王
○豊国の鏡の山の岩門立て、隠もりにけらし。待てど来まさず  手持女王


「鏡」の神社:

「鏡」神社:滋賀県蒲生郡竜王町鏡

朝鮮半島の新羅から日本に渡り金工、陶製技術を伝えたと伝えられている天日槍(アメノヒボコ)を祀る神社です。本殿は南北朝時代の建築といわれ、国の重要文化財に指定されています。


「鏡」の温泉:

「鏡」温泉:山梨県甲府市

JR甲府駅から徒歩15分、甲府市文化会館から程近い場所にある温泉施設です。昔ながらの温泉銭湯。鉱泉をあたためている。浴場正面には甲府の名湯と示し書き。内部は番台式で藤籠などがあるあたりはいかにも銭湯。浴槽は中央部にあるという関西風の造り。端には岩風呂風の小浴槽があります。湯は薄い琥珀色。庶民的な利用しやすい温泉銭湯です。


「鏡温泉」参考写真



「鏡」山温泉:佐賀県唐津市

佐賀県唐津市の鏡山の麓に湧き出る鏡山温泉。
天然ラジウム温泉で糖尿病 リューマチ 痛風 動脈硬化などに効果があるとか。元はバス会社の駐車場兼事務所だった所から温泉が噴き出てきたそうです。


「鏡山温泉」参考写真
 



「鏡」の宿:

「鏡」宿(鏡の宿):滋賀県蒲生郡竜王町鏡

旧中山道(現国道8号線付近)の宿場、鏡の宿として栄えました。承安四年(1173)、金売吉次(かねうりきちじ)に伴われて京の鞍馬山から奥州へ向かう途中だった牛若丸は、この鏡の集落の白木屋で泊まります。その時、これからの道中の安全のために、と、ここで元服をしてしまうことになりました。義経十六歳の時のことです。少年から大人へ。前髪をおとすのに水がいる。その水を汲んだ池が神社の少し西にあり、元服岩と呼ばれて今も水をたたえています。


「鏡」の町:

「鏡町」熊本県八代郡鏡町

八代平野のほぼ中央に位置する人口16,000人の「干拓とい草の里」。お神酒で清めた締込み姿の若者数十名が鮒や泥を見物人になげつけ、泥がかかればその年は無病息災と言われている行事「鮒取り神事」や数百年も続く有名な夏祭の「十八夜祭」など、長い歴史の中で人から人へ伝統な文化が受け継がれている町。鏡町の特産品はいぐさ、トマト、メロン 、のり 、ジャガイモなどです。


「鏡町 十八夜祭」参考写真



「鏡」地区(旧鏡村):高知県高知市

鏡地区(旧鏡村)は高知県中央にあり、高知市西北にあります。地区の大部分は山林で、鏡川をはじめ数本の川沿いに集落が集中しています。鏡地区の名称は、第五代土佐藩主山内豊房侯が「我が影を映すこと鏡の如し」とその清流をたたえて名付けた鏡川にちなんでつけられました。


「鏡」もち:

鏡もちの名は、鎌倉・室町時代になってから使われ始めましたが、平安時代にはもち鏡とよばれていたといいます。古来、鏡は霊力を備えたものとしてあつかわれていて、もちは神聖な力がこもる食べ物と考えられていました。そのもちを神の宿る鏡に見たてて形作ったといわれています。お正月にかざる鏡もちは、おとずれた年神(としがみ)が宿るとされ、「お供えもち」や「お雑煮」の習慣とともに、現在でも、お正月の代表的行事になっています。


「鏡もち」参考写真


鏡山部屋:

鏡山部屋(かがみやまべや)は、日本相撲協会所属の相撲部屋。1970年、元横綱の柏戸が伊勢ノ海部屋より独立して創設、元関脇多賀竜らを育てました。元柏戸の鏡山が1996年12月に逝去後、現在の親方である元関脇多賀竜の勝ノ浦親方が鏡山を襲名、部屋を継承しました。


「鏡」中学校:高知県高知市鏡今井191

高知市立の鏡中学校は高知市の水源となっている鏡ダムの隣にあります。HPによれば、全校生徒46名、教職員16名の小規模な学校で(H17)、生徒は明るく素直で、学習や特別活動に真面目に取り組んでいる、と記載されています。


鏡中学校」参考写真



「鏡」中学校:佐賀県唐津市鏡1136

佐賀県唐津市の鏡山の麓にある唐津市立鏡中学校は、全校生徒327名(H20)の中規模な中学校です。校長先生の言葉に「学校の宝物は生徒です」と書かれているのが印象的です。近くには、羽衣の伝説、浦島太郎伝説とならぶ日本三大悲恋物語の「松浦佐用姫伝説」で知られる鏡山や、気比の松原(福井敦賀市)、三保の松原(静岡清水市)とならぶ日本三大松原の一つに数えられている「虹ノ松原」があります。


「鏡」とマラソン:土佐鏡湖畔元旦マラソン大会

一年の計は元旦にあり。一年の健康を願って高知市鏡で開催されるマラソン大会。コースは鏡中学校を発着点とした5.8キロと、途中を折り返す3.0キロの二つ があります。小学生から一般までタイムを競うマラソンの部と、自己申告タイムとの誤差を競うピッタリの部にわかれており、それぞれの体力にあわせてマラソンを楽しむことができます。


鏡とマラソン」参考写真



「鏡」と環境:

従来、家庭で使われる鏡の裏面塗料にはほとんど鉛顔料が使われていました。鉛の化合物は鏡の腐食を抑制する働きが非常に優れており、従来の鏡では裏面塗料からこの成分を抜くと銀膜が容易に腐食し、すぐに反射しなくなってしまいます。しかし、鉛化合物は有害であり、米国では、1990年に鉛に関する環境保護規制法が制定され、鏡の裏止め塗膜中の鉛含有量が厳しく制限されています。こういう時代背景を受けて、日本でも、裏止め塗膜に鉛を使わない鏡が開発され、現在では有害な鉛成分を全く含まない環境に優しい鏡が一般的となっています。また、鏡の裏面に塗布する塗料から有害物質であるホルムアルデヒドが発生しない技術も開発された結果、現在、市販されている鏡は鉛も含まず、ホルムアルデヒドも発生しない「環境配慮型」の鏡となっています。



万華「鏡」:

万華鏡とは内部に鏡を張った筒を通して、可動するビーズなどの着色された細片を見ることを楽しむ玩具の一種です。三枚の鏡板を組んだ三角柱の中に種々の色ガラスや色紙の小片を入れ、回しながらのぞいて模様の変化を見る。鏡板の形状は三角柱のものが一般的ですが、四角柱、五角柱などさまざまな構造があります。万華鏡は、今から約200年前、スコットランドの光学研究者で、光学の研究、百科事典の編纂など学者として一生を過ごし、その功績により、サーの称号を国王から与えられたデヴィッド・ブリュースターが、偏光の実験の途中で発明し、1817年に特許を取得しました。灯台の光を遠くまで届かせる研究の途中で思いついたという万華鏡。その後、この魅力的な道具は多くの人の心を捕らえ、ヨーロッパ中でブームとなりました。彼はギリシャ語の kalos(美しい) Eidos(形) Scopio(見ること) から Kaleidoscope という名前をつけました。日本での別名は、錦(にしき) 眼鏡、百色(ひやくいろ) 眼鏡、カレイドスコープ、ばんかきょう(鏡)など。


万華鏡」参考写真
 



双眼「鏡」:

双眼鏡(そうがんきょう)とは、望遠鏡の一種で、二つの鏡胴 (対物レンズと接眼レンズを連結して保持し、レンズ以外からの光線の入射を防ぐ筒) を平行にならべ遠方のものを両眼で拡大して見る光学器械のことです。双眼鏡にはその構造によっていくつかの種類に分かれます。

・ガリレオ式
対物レンズに凸レンズ、接眼レンズに凹レンズを使用した双眼鏡です。2枚のレンズだけで構成されることが多い。軽く作れるが、倍率はあまり高くできない。玩具や安価なオペラグラスに使われます。

・ポロプリズム式
対物・対眼レンズとも凸レンズを使用します。そのままだと倒立像になるので2個または3個の直角プリズムで反転させて正立像を得ます。もっともよく使われている双眼鏡。ダハプリズム式より重く嵩張るが、対物レンズが大きい分、明るい。スタジアムで売られるような安価な製品には、プリズムを一対の鏡で代用したものがあります。

・ダハプリズム式
対物・対眼レンズとも凸レンズを使用します。像を2つのルーフ(屋根型)プリズムで反転させるものです。プリズムを山型にして、左右をそれぞれの面で反射させる。プリズム部分が嵩張らないので全体がコンパクトに仕上がるが、大口径の対物レンズは使えないことと、比較的高価になるという欠点があります。

・その他に防水双眼鏡、防振双眼鏡(手ぶれ補正機能つき)などもあります。


望遠「鏡」:

望遠鏡(ぼうえんきょう)とは、遠くにある物体を可視光線・赤外線・X線・電波などの電磁波を捕えて観測する装置のこと。古くは「遠眼鏡(とおめがね)」とも呼ばれました。観測に用いられる電磁波の波長により、光学望遠鏡と電波望遠鏡に大別されます。また、電磁波を捕える方式による分類では、反射式望遠鏡と屈折式望遠鏡があります。
電磁波の波長により、可視光で観測するもの、短波・長波などの電波で観測する物などがあります。また、可視光でもフィールドでの観測を目的とした物にはフィールドスコープ、ナイトスコープ、双眼鏡などがあります。また、地球の衛星軌道上にも衛星を使った望遠鏡が稼動中です。今後は、惑星軌道系にも、宇宙観測を目的にした望遠鏡が稼動する予定です。


望遠鏡」参考写真



天体望遠「鏡」:

天体望遠鏡とは、遠方にある天体を観察するための装置です。光学的な装置で肉眼に見えるようにするものは「光学望遠鏡」と呼ばれるほか、「電波望遠鏡」「赤外線望遠鏡」など、可視光線外の電磁波を観測対象にしたものもあります。


内視「鏡」:

内視鏡とは、主に人体内部を観察するための医療機器のこと。本体に光学系を内蔵し、先端を体内に挿入することによって内部の映像を手元で見ることができますります。一般的なものは細長い形状をしているが、カプセル型のものもあります。また、観察以外に、ある程度の手術や標本採取ができる性能をもつものもあります。同様の製品は医療分野にとどまらず、直接に観察しにくい構造物の内部の観察用に学術・産業あるいは災害時の被災者発見などに用いられていますが、一般に「内視鏡」というと医療用のものを意味しています。


内視鏡」参考写真



腹腔「鏡」:

腹腔鏡(ふくくうきょう)とは、体表皮膚より腹腔内挿入する内視鏡手術手技のこと。1902年にドイツの医師ゲオルグ・ケリングによって腹腔鏡によって犬の腹腔内の観察が行われたことが最初の報告されている。その後、1910年にスウェーデンの医師ハンス・クリスチャン・ヤコビウスによって膀胱鏡を用いて胸腔の観察が施行され「laparoscopy」と命名されている。日本では1990年に帝京大学医学部附属溝口病院の山川達郎医師によって初めて「腹腔鏡下胆嚢摘出術」が施行された。


「鏡」師:


鏡づくりの工人のことを鏡師という。「師」は鏡の銘文によく出てくる字で鏡師のことである。鏡の銘文中では、「京師」は都の鏡づくり師であり、「州師」は州の鏡づくり師の意に解せられる場合が多い。


「鏡」の中のオルゴール:

鏡の中のオルゴールはフェアリーテール(花月組)より発売されたアダルトゲームのシリーズ。童話をアレンジした3本の作品が存在する。


「鏡」:

組曲『鏡』(かがみ)はモーリス・ラヴェルが1905年、30歳のときに作曲した、5曲からなるピアノのための組曲。初演は1906年1月6日にパリでリカルド・ビニェスにより行われた。全曲で約30分である。各曲が単独で演奏されることもしばしば行われており、とりわけ「道化師の朝の歌」は演奏の機会が多い。


「鏡」駅:

鏡駅とは、 かつて佐賀県唐津市にあった国鉄筑肥線の駅。


「鏡」面:

鏡面とは物理、工学、機械などの分野で、物質の表面の凹凸が非常に少なく、鏡のように見えること。平滑で艶のある表面加工を、鏡面仕上げと呼ぶ。